感覚で生活して起こった結果は事前に知ってた時より嬉しいよね

皆さんこんにちは、ぼんごれびあんこです。

 

「おいおい!何言ってんだお前!」そう思ったあなたは普通ですね。

タイトルから意味わからない事を書いているので理解できなくて当然ですね。

理解出来てたらちょっとびっくり、、、

 

みんなに質問したいのだが、「計画派」「感覚派」どちらでしょうか?

 

俺はもちろん感覚派です。だから、今日が何月何日なのか全く分からないし、友達に日にちを聞かれても困る。しかも、ノートとか書くと毎回日にちを友達に聞くので、実際は困っているかも、、、

 

感覚と言えば、雨の日もそうだ。

 

俺は全く天気予報を見ないので、家を出る時に空を見て傘を持っていくか否かを選ぶ。

たまーにめっちゃ晴れてるからから持っていかずに登校すると、バス停には大勢の人が傘を持って並んでいたりすると、「あー、やらかした」と後悔することは多い。

 

だがしかし、、、

 

感覚で生活しているからと言って、全て後悔しているという訳では無いのだ。

事前に未来に起こることを事前に知らないからこそ、その未来が現実となった時、事前に知らず、さらに良い結果だったとしたら、未来に起こることを事前に知らなかったおかげで、事前に知ってた人よりも幸福を感じることが出来るのだ。

とても、哲学みたいなことをほざいてますね。見ている人に理解させる気ないですよね、、、

例えば、皆さん想像してみてください。

あなたは感覚人間です。時間割を全く確認しません。そのせいでよく忘れ物をします。しかし、今日は終日身体測定で授業はありません。周りの友達はそのことを事前に知っていましたが、あなたは、学校に来て、友達に教えられて、今知りました。

さて、どっちの方が気持ち的には幸福を感じることが出来るでしょうか?

 

俺は断然感覚で生きていた方がいいと思うんですね。

 

とっても些細なことですよね。でも、そんな小さなことでも幸福を感じられた方がいいと思うんです。

偶然とか奇跡的とかめちゃくちゃ好きな言葉ですね。

さらに、感覚で生きることでのメリット的なものを挙げるとするならば、毎日アラームや電車の音とか、時間とか人とか、現代社会だからそうなってしまってることってありますよね、そんなものに囚われずに自然体で入れることですかね。

 

別に感覚で生きろとか言わないですけど、休みの日だけ時間を確認せずに1日過ごすとかもありですね。俺みたいに缶ジュースとツマミだけを持って河川敷に行くとかですかね、、、

 

全ての出会いに感謝